なんとなくFBについて思った

 

ブログを書きたくなりました。

FacebookTwitterも割と使っている方だけれども、そこに書きたくない事もきっとあると思って選択肢がブログなんだと思います。

 

楽しいですよね。Facebook。ちょうど僕の周りでは結婚の報告やらアップロードされた忘年会の写真やらで大変に賑わっております。イベントのお誘いもたまにもらいますし、ほぼ毎日がお友達の誕生日です。ふた月に一度くらいは「誕生日」というアプリのお誘いが来ますけどあれは何なんでしょうかね。

 

GoogleReederがサービスを終えるころに、次は何を使えばいいんだろうかなんて論争が僕の中に巻き起こったりした訳ですが、いいね!を押し回っていたらいつの間にか関心のある事柄のニュースがタイムラインでびゅんびゅんと流れていて、結局GoogleReederが果たしていた役割を何かに移行するという事はありませんでした。企業のリリースなんかはwebメディアのFBページがポストしてくれますし、同じ業界のお友達も同じふうにアンテナが拾った物をシェアしてくれます。Gunosyにスイッチしそうになったときもありましたが、いま僕のiPhoneにそのアプリは入っていません。

友達の知り合いにはちょっとした業界の有名人なんかがいて、たまに自分のタイムラインからはそんな人が何かを論じているのが見えていたりして楽しいです。

 

何が言いたいかというと、Facebookは今の僕にとって丁度いいという事なのです。自分の関心のある物が適当に集まっていて仲が良い友達や親切にしてくださった人たちに囲まれていて心地が良いです。心地よいつながりはmixiではなくザッカーバーグによってもたらされました。mixiの言う「すべての人」に自分が含まれていないかもという懸念は排除しています。

招待制の頃には近づくことさえできなかったmixiに対する陰鬱な感情については今やどうでも良い事。スマートフォンを手にしたときになんとなく開いてしまうのがFacebookになっているという事です。まあそれもいろいろと変わる世界の事ですから今だけなのかもしれませんが。

 

友達に話しても仕方が無い話、職場では口にできない感情みたいなもの、仕事関係のつながりの中で支障が出てしまうような考え方。誰に何を伝えるかというのは楽しく生活していくためにコントロールしなくちゃあならないところなのかなと思います。その一方、だれかに言ってみたいなあと思う部分ですよね。いまこのブログを書いている時点では閲覧はプライベートですが、公開してみてコメントなどもらったらまた何か感じるのだろうなあと思います。非公開なのはブログが続かなかったら恥ずかしいからなのだと思います。

 

どうぞよろしくお願いします。世界の皆さま。